はじめに
2020年に生まれ故郷である宇和島へUターンし、今年4月からは市内の石応という、海が目の前に広がる場所で暮らしています。
当初、正直なところ地元に戻るつもりは全くありませんでした。ですが、思いがけない偶然が重なり、気づけばUターンしていました。
今回は、自分がなぜUターンすることになったのか、その経緯や心境の変化を振り返りながら綴っていきます。
仕事を辞め海外へ
高校卒業後、進学のため横浜へ移り、その後、東京で経理として就職しました。しかし2年ほど働いた後、若いうちに何かやってみたいと思い、海外移住を決意しました。
退職の1年前から知人に相談したり、自分でも情報を集め、移住に向けた準備を開始。
まずはフィリピンの語学学校で8週間みっちり英語を学び、次のステップとしてカナダでのワーキングホリデーを予定していました。
フィリピンからすぐに帰国を余儀なくされる
カナダのワーホリビザも取得し、フィリピンのセブ島で英語学習生活が始まった矢先、コロナウイルスが蔓延。
セブ島内の全ての語学学校が政府の命令で強制閉校となってしまいました。
8週間の予定はわずか1週間で打ち切られ、急遽帰国することに。
そして、コロナ禍の影響でカナダへの渡航も困難となり、ワーホリも断念せざるを得ませんでした。
1から動画編集を学び直し、仕事へ
帰国後、再び関東で就職活動をする手も考えましたが、コロナ禍での移動は難しく、断念。
余談ですが、当時まだ宇和島で感染者が出る前で、特に田舎ではコロナへの警戒心が強く、東京に行って帰ってくるだけで吊し上げにされそうな閉塞感がありました。
そこで、元々趣味だった動画編集を仕事にしてみようと決意し、独学で改めて学び直しました。
宇和島で広がったコミュニティ
フリーランスとして動画編集の仕事を続けるうちに、宇和島でも面白いことをしている仲間が増えてきました。多くが移住者で、宇和島にも多様な背景や目的で移り住んできた人たちがいることに驚きました。
それまで人付き合いが得意ではなかった自分も、こうした人たちとの交流を通じて、宇和島という街に少しずつ居心地の良さを感じるようになりました。
決まった未来を生きるだけなら、わざわざ生きる必要がない
今は、宇和島で自分がやりたいことができていて充実しています。しかし、ずっとここにいるつもりかと言われると、必ずしもそうではありません。
なぜなら、あらかじめ決まった未来を生きることに、あまり魅力を感じないからです。偶然が重なり、時には直感に導かれながら、これからも色んな経験を積んでいきたいと思っています。
実際、今回のUターンも、すべては偶然の産物でした。でも、そんな偶然を通して多くの人との出会いがあり、気づけば今の石応での生活にたどり着きました。
このポータルサイトでは、宇和島での日々の暮らしや体験を今後も綴っていきます。会員登録やコメントもお待ちしています!!
コメント